株高をどこまでも目指すグリード

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これらは、すべて一端のアップトレンドの否定を
再び高値抜きで更新してきた、グローベックスの安値である。

およそ300ドルずつ基点を切り上げ
最後の押し目以降は、小刻みな波動を繰り返しながら
最終、13649ドルまで上り詰めた。

いまや、リーマンショックからの下落から全戻しで
株価は2008年の水準まで戻っている。

株価は…である。

無論、株価の暴落は金融収縮から起こったので
金融策によってもとの株価に戻るのはいいとする。

しかし、その金融危機の巻き添えを食らい
疲弊した実体経済は2008年の水準にはほどとおい。

この状況は荒っぽく言ってしまえばこうだ。

例の金融危機により、金融、実体経済とも傷んだ。
しかし、金融緩和により金融界はその損失を取り返した。
しかし、実体経済は損失のまま。

喩えれば、以下のような話だ。

博打好きの旦那と、堅実な奥さん。
それぞれ100万持っているとする。
あるとき旦那は、博打で200万の損失を被った。
旦那は資産百万から、借金100万に転落である。
その借金の穴埋めのため、奥さんは100万の貯金を切り崩さざるをえなくなった。
この時点で、旦那、奥さんとも資産はゼロである。

このままでは生活が営めない。
だから国が、旦那の一家に100万を融資した。

その100万を受け取った旦那は、それを奥さんに回さずに、
また博打に明け暮れた。
奥さんは100万のことを知らない。知ってはいても手が出せない。
結果、旦那は100万の損を埋め合わせて、資産は100万に戻る。
奥さんは0のまま。

夫婦とも100万だったはずが、いつのまに旦那だけ100万になっている。

これで旦那は復活した!と騒いでいる。傷を負ったままの奥さん。

これがいまの金融である。

旦那は100万を奥さんに返すか。返さないだろう。
半分でも渡すか…渡さない。
自身は金がもとに戻ったと思い。
その金でまた博打をするだけだ。

ただ、その戻ったと思われる金は、奥さんの100万と
国の融資100万によるものである。

彼自身は200万損失を出し、本来はマイナス100万なのだ。

しかし、国はそういうところに目をつぶる。
もっとお金をあげれば、やがて奥さんも報われると思っている。

いまの金融緩和というものは
旦那の資産を倍増させれば、やがて奥さんに金が回る
という理屈のようなものであると思う。

旦那が博打で上手くいき、200万に資産を増やしたとする。
それを奥さんにあげるか。
いくらかはあげるだろうが、100万はとうてい渡さない。

また博打をするだけである。

旦那の資産が1億もいけば、100万くらい渡すかもしれないし
下手するとそれ以上を渡すかもしれない。

そうなると、奥さんもはじめて潤うことになろう。

金融を肥大化させて、実体経済を潤わせるというのは
こういうロジックであると思う。

実体経済が潤う頃には、
金融界はすさまじいセレブに成り上がっている。

これがグローバル経済、金融資本主義である。

ただ、こうした理屈が通じるわけがない。
実体経済になにも生み出さない金融が
最も潤い、もっともリッチであることには自ずと限度がある。

だから、何度もバブルの生成と破裂が繰り返されてきた。

旦那も、100万から1億までの博打が途中失敗に終われば
また振り出しに戻る。

このようなことをしているのが、いまの市場であると思う。

だから狂っていると、私は常々言っている。

博打打ちにいくら金を注いでも、なにも生み出さない。

金は本来、奥さんに渡すべきなのだ。

12433ドル。

これが現在の、直近安値である。

いま博打打ちたちは、その先になにを目指しているか。
彼らは失敗を恐れていない。

失敗しても、また奥さんが身体を売ってでもその損失を埋め合わせ、
生活をなんとかしてくれるし、
極限まで行けば、また国が融資してくれる。

旦那が100万を200万にしたところで、奥様は救われることはない。
たとえ、旦那が10億を生み出すことに成功しようと、
それが正しい事とも思わない。

こういう意味で、私は金融に巣くう連中を人間のクズと呼ぶ。