来週の戦略

先週は最後の最後でぼろ負けしてしまったが、頭を切り替えて、
来週の戦略を検討しておく。

週末、自分でも珍しくスイングポジションを114.57辺りで取ったことから、
すこし自身の中でもフィルターがかかってしまい、ポジショントークのようになってしまうが、

来週の見立てもやはりドル安方向である。

そもそも、先週、ドル売りの相場観だからこそ、ドルショートをキープして超週しているのだ。

まず、4時間足ベースで見たとき、
これまで気にしていた下降のチャネルラインは上にブレイクしたものの、
金曜の下落により、ふたたびチャネルの中に戻ってきた。

ただ、このチャネルラインはブレイクされた段階でいまや有効性は弱くなっており、
もはやサポレジの基準としてはなりにくい。

よってあらたな波形を追って見たとき、

現在のドル円は115.60アッパーの高値を作った後、スイングを経ながら、
高安を下に更新しており、
すでに4時間足ベースではダウントレンドを確定させている。

この前提が崩れるのが、
直近高値を更新した115.40アッパーあたり。

まずは来週気にすべきラインはここで、

115.40

これを超えない限りはまずは徹底的に下目線である。

ではこれを超えたら上か、と言えば、まだまだで、

次に重要なのがおとといの高値


115.60アッパー

これを超えたら、まずは下落トレンドはほぼ消滅で危険信号となる。

しかし、ここでもまだ終わらない。

さらには4時間足ベースでの200SMAが最終最後の壁で

現時点では

116アンダーあたりとなるのだが、

ここを突破すれば、

ほぼ完全に今月のドル安はトランプ相場の調整というのが確定となり、



ドル高相場再開の可能性が増すことになる。

そんな段階では、株価もたいがい上昇しているはずで、

株高、債券利回高、ドル高

というトリプル高から

トランプ相場第二幕

のような雰囲気が世界中に広がってるだろう。

ここまでくれば、
ドル売りでの勝負はまたも完全撤退で、

わっしょいわっしょいの
ドル高第二幕を眺めているか、

嫌々ながらまたドル買いについていくしかないような事態となろう。

しかしながら、先週の金曜の大敗は、
これまでの相場経験の中でも、ワースト記録に入るほど、屈辱的かつトラウマになりそうなほどの体験であった。

世間がどれだけドル高と叫ぼうとも
基本はドル安のスタンスでやってきたなか、

ドル高でやられたのなら、まだ納得もいくが、

綾取りでの欲豚であったとはいえ
ドル買いでめちゃくちゃにやられてしまうなど、もうゲロ吐きそうなほど悔しい話である。

いまトランプわっしょい、株高わっしょいでドル買いしてやられた者がいたとしたら、彼らは納得もするだろう(というか、納得してほしい)

しかしこちらは十年来レベルでドル安の相場感でありながら、

下落するドル円に買いで抗い、
それでやられてたのである。

その意味で、現在保有中の114.60アンダーのドル円ショートについては、
刈られてもまだ納得もいく。

自分としては下落を見立てているのだ。
負けた場合は仕方ない。

ターゲットとしては、
まずは113.20あたり。
次が先週守られた112円ミドル割れ。
次が112.20アッパーあたりである。

ここからが勝負で、112円を割ればドルベアの勝利で
トリンプ相場の終了もほぼ確定し、
ドル安円高トレンドかようやく再開となる。

ここがまたも守られた場合は、
トランプ相場の終了はお預けとなり、
とはいえ、トランプ相場も懐疑的な
気迷い相場となってしまうだろう。

こんな気迷いなどとっとと払拭し、
まずは110円あたりもぶち抜き、
相場よ早くもとに戻れ、とは思うが、

そうなれば、またも我が国当局が、
投機的だとか介入だとか騒ぎ出すのだろうか。
騒ぎ出すなら、本当にこいつらはなんなんだ、という話である。

トランプ相場で、101円から118円まで上昇したとき、
投機的の、“と”の字も聞こえなかった。

為替相場史にも残るほどの大変動であるきもかかわらずスルーである。

それが先週の段階で、某リフレ派の御仁はもう介入だなんだと発言している。

101円から118.6円まで18円ものドル高をスルーし
たかだか4円か5円の円高で介入だなんだと、
こういうのを見るにつれ、そうした方々の思惑がはっきりと透けて見えるというものである。

これはもう再三述べていることではあるが、

125円から100円あたりまでの昨年の円高相場で投機的だなんだとあったが、
一見すれば25円の円高なのでまっとうなように見えるが

その以前のアベノミクスは80円あたりからはじまっているので、50円近くの円安だったのであることを考えると、

この円高とて半値戻しの水準に過ぎない。

アベノミクスの円安過程で投機的だなのだという話が一度でもあったか。

黒田日銀総裁が、125円あたりのとき、国会でこれ以上の円安はいきそうもない、とかなんとか話したくらいである。

しかもこの発言とて危機的な言い振りでもない。

無論、円安にともない株高が進んでいたので、株高の熱狂が円安の弊害を覆い隠してみせたのはあろう。

株高、というのは一般的にはもちろん“正義”ではある。
資本主義という仕組み上、いかなる国においても株高は“正義”である。

しかし二国間の相対的な意味づけにおける通貨価値においては、高いも低いも“正義”というものはない。

つまりは株高が“正義”であったとしても、
ドル高や円安は“正義”でもなんでもない。

もちろん、ドル安や円高も“正義”とはいえないが、

個人的に思うのは、成熟した国家における一般国民においては、自国通貨高がどちらかといえば、“正義”であるとは思う。

いずれにしても、いまの我国当局者にとって
どこまで円安になれば
投機的というのだろうか。

1ドル500円か、1,000円か。

日本円を紙くず同然にまで価値を毀損して、
国家の繁栄があると思っているのだろうか。

例えば1ドル1万円となれば
日本の国際競争力は相当に強まり、
輸出企業は大儲けできるだろう。

ただし、これはこうした企業とは関係のない庶民を貧しくし、ともすれば生活を破壊する代償としての大儲けである。

そのいい例が韓国である。

輸出主体の財閥系企業が国家の富の多くを算出するかわり、

そこに富が集中し、
誰もがその構成員になることのみを目指し、

その競争に敗れた者や、はなからそうした競争にかかわらない、かかわれない人々の希望は日々失われていく。

国家の総体の富が増したところで、
そうした一部の富の集中と
圧倒的多数の貧困が共存する国家が、
果たして健全な国家と言えるだろうか。

1ドルが数千円となり、

トヨタソニーが莫大な富を獲得し、
一般国民が皆、こうした輸出大企業の住人になることのみを求め、
その埒外に置かれる人々の希望は失われる。

輸出大企業が国家に匹敵するほどの強大な力を持ち、
彼らの思惑で国の運営すら左右される社会。

しかしながらこれら企業とて
外国人株主の意向や思惑ひとつでいつでもその地位が揺らぐ立場であり
世界情勢の変動で国家の基盤すら簡単に上下動する不安定な社会。

そんな国家が健全な国家といえるのか。

グローバル経済における覇者とは
裏返せば、グローバル経済における僕でる。

それを脱しようとしているのがイギリスであり、トランプ大統領が目指すアメリカのようにも思える。

現在の自由主義資本主義は、様々な弊害を生み出しており、制度疲労すら感じさせる。

その意味で、イギリスやアメリカの動きこそがこれからの時代の変換の萌芽と言えるかもしれない、とも思える。

その意味では、今後進みうるのは
ドル高であり、ポンド高であるかもしれない。

グローバル経済の僕たるEUや日本はまずは、そんな状況に喜ぶかもしれないが、

この経済構造が実は時代の変革に向けてかわりつつあるとすれば、
EUや日本は時代の変化とともに敗者となるかもしれない。

そうなればEUは解体してしまえば、まだリスタートが切れるかもしれない。

しかし日本はどうか。

かねてからずっと思っていることだが、
自国通貨安を志向するような国に未来があるとは思えない。

来週の戦略のつもりが、随分と長い話となってしまった…。