世界の株価から世界を思う

世界の株価にもう上昇余地があるとは思えないが
なにをもって、投資家たちが株をホールドし続けているのかわからない。

それはともかく、ふといまの株式市場に思いをはせてみる。

株高が一般の人々になんら幸せなどもたらさないことは
21世紀からこっち、すでにみなうっすらと感じていることである。
個人投資家などは、投資をやめるか破産などし
投資以外で生計を立てる、という生活にならない限りは
一生わからないかもしれないが、
投資家以外の人々であれば、実感としてわかるはずだ。

現在、株価が上昇し続けるいまは
リーマンショックで殲滅されかけたはずの投機家たちの復活を助長するのみである。
もうかれこれ10年近くたついまとなっては
助長どころか、もはやリーマンショック以前の世界に戻ってしまった。
いや、そのとき以上に金融市場は歪められ
より救いのない状況となってしまった。

こうした金融市場は近い将来、確実にクラッシュする。
かつて、
同様の世界(といっても今より遙かにましであるが)の極限となった
リーマンショック
金融市場がクラッシュしたことをもはや誰もが忘れてしまっている。

前時代の身分社会のように
弱者をより弱者とし、それを絶望的なまでに固定する社会が
いまの金融相場がもたらした、格差社会である。
金融工学の発展は、可視化できる社会を高度に発達させてきたが
不可視の社会においては、歴史を明らかに逆行させている。

一見すると皆がスマホを持ち、好きな物を買って自由を謳歌しているようにみえるが
それら自由は、圧倒的に限定された世界のもので
実は皆が何もかに支配されている。
そうした市民が一段上の世界に上り詰めるためには
社会への貢献など一切考えず、自己主義のみで投資の世界に飛び込む。
つまりは金融村の村人になるしかない。
そうしない人たち、彼らは今の社会ではやがて取り残され
じわじわと絶望の階段を降りていく。

今の社会は投資家の絶望が、
それをしない一般の人々の希望をもたらす社会である。

いまの社会における投資家は
マッドマックスの支配者のように、己の欲のみを考えるだけで
決して、企業や社会の発展を求めて
私財や公財を株などに投じているわけではない。

株価が毀損されれば、労働者は仕事を失い、経済が停滞する。
そうではあるかもしれないが、長い目で見ればそうではないと思う。
もちろん、株価が堅調であれば、労働市場は拡大をもたらされようが
現状のシステムから求められる労働は
労働者にとって、人間を人間らしくおいておかれない
金持ちがより肥え太るための養分にされるだけにすぎない。

株価が毀損されればもちろん、企業は弱体化する
しかし、企業も人がいなければ組織を成立させ得ない。
金融市場がクラッシュしても、企業も人も滅するわけではない。
企業は求人を行い、人々が求職する状況は変わらない。

そこでもたらされる労働は、もっと人間らしく人が働ける社会である。

これは偏見が混じった意見とはなるが
たとえば、米国の某IT企業群、
それらが実業の企業を圧倒的に上回る
莫大な規模や富を得ることがバランスの取れた社会であるか。

もちろん、情報革命以後、情報産業の価値は増している。
しかしながら、情報は、実態があってはじめて意味をなす。
情報を扱う存在が、情報を扱われる存在より
圧倒的な力や財を得ることは、本末転倒である。

繰り返しとなるが、これはIT産業に従事する人々を否定する意味ではない。

いずれにしても、しかしながら、情報産業が社会が限定的なものとなり
金融市場が大きな調整という次元を超えて、
完全なまでにクラッシュしてしまわないかぎり
現在の社会は変わらない。

ただ、そのクラッシュは、金融社会を存続させうる
巨大な調整、といった暴落では意味をなさない。
またそれが跳ねればもとの世界である。

その意味で、人々の希望をもたらすに違いない株価の下落は
リーマンショックの価格どころではなく
それをも遙かに下回る世界まで株価が落ちていくことである。
つまり、世界の株式市場をいったんは壊滅させるほどの
人類史上かつてはないほどの暴落が必要である。

たとえばダウならば、7882ドルあたりの安値を割ることは必須で
そんなものは通過として、さらに1000ドルさえ下回る相場。

こうなれば金融界に働く人々は地獄を味わい
多くの企業は倒産するであろう。
それに関する多くの企業群も同様の傷を負うであろうが
その後もたらされる社会は、
人間社会にとっては大いなる希望の世界となるに違いない。

そんな暴落が突き進みはじめたとき、
またも当局が利下げだ資産購入だ、といった
金融市場をまた活気づけるための政策を
もう二度と採らないことを切に願う。
そんな金があるならば
実体経済に関する企業や個人に闇雲にくばりまくればよい。
その方が、少なくとも金が実態市場を回り、はるかに有益である。
金融界に金を回すから、彼らは投資に走り
同様のバブルやクラッシュを繰り返し続ける。

当局が金融界に資金注入するなら、その金を企業や個人などへの融資を除き
金融市場などの投資には一切使わってはならない
などといった、法律を制定すべきである。

さらに当局が株や債権などを売り買いすべきではない。

金融市場の存続など、人類になんら幸せをもたらさない。
為政者はそのことにはやく気づくべきである。

とにもかくにもそんなとき、為替はどうなっているか
たとえばドル円
これなど、史上最高値など通過点で、1ドル50円を目指しているかもしれない。
それは円が強い、という意味ではない。

ドルの本来的な価値に回帰しているのみである。
ユーロもポンドも豪ドルも、史上最高値を塗り替えていくであろう。

それだと困る?
それは、世界のドル支配に影響を受けている人々のみであろう。
投資家、企業、個人。
米国がねつ造した世界経済の不均衡(たとえば貿易のドル決済など)
そうした彼らは、そこに乗っかって不当な利益を得ていただけである。

たとえば、米国以外で日本が貿易を行う。
そのさいに、なぜドル建てで決済する必要があるのか。
いまドルは金本位制ではない、信用(?)のみの紙幣である。
それが世界を席巻する社会が改変されるためには、
いまの巨大すぎる世界の金融市場は、死滅する必要がある。