ユーロは……やはり、だめかもしれない

欧州が実際にどうなのかはわからないが、
ここ何年も騒がれている“ユーロ危機”がこれだけの下落トレンドを形成するなら
やはりユーロの問題は根深いのだろう。

しかし、この後に及んでも、ユーロの楽観論を語る要人の方々。
さしたる対策も取らず、その場しのぎの対処ばかりにしかみえない。
それでありながら、楽観的な姿に嫌悪感を覚えてきた。

あたかも借金三昧なのに、いまだにブランド品を買い続け、
高級レストランに通い、贅沢三昧をしながら
がんばっているがんばってる、と小手先だけの倹約でまわりを煙に巻き、
これからも贅沢三昧を続けようとしているドラ息子のようである。

やはり……彼らは真の努力、という言葉を知らないのかもしれない。
トレンドの空気と言っている内容での乖離が激しすぎる。

であるなら、ユーロはだめかもしれない……。

そう思えてきた。

もしも彼らが、怠惰という情動のみで
世界に嘘を重ね、誤魔化しこれまでの贅沢をつづけたくて仕方ない
というろくでなしであるならば、彼らにとっては、
誰かを騙すか搾取する以外に再起の道はないだろう。
そういうウルトラCのみを求め、復活を探ろうとしているならば、
こんな連中は心情的には一度地の底まで落ちるべきだと思う。
そんな人間に同情を感じない。

さしたる根拠はないが、ユーロという存在が
こんな人として最低にも思える連中の共同体であるならば、
未来はないように思えるし、また、未来があってもならない。

彼らが私の感じるままの人間としての劣悪な連中なら、
ユーロには救いはない。

無論、アメリカにも救いはないから、
アングロサクソンという民族は、かつての貢献はともかく、
いまや現在の世界にとって害悪でしかないように思える。

無論、今後もファンダメンタルズというよりは
テクニカル的に上でも下でも相場についていくのみだが、
もともとさしたる思い入れなどユーロにはないが、
心情的には日々、この“ろくでなし”疑惑の連中への嫌悪感が増している昨今である。

今回は相場観とはまったく関係のない、ふとした雑感である。